日本という国で毎日仕事をしていると、当然ながら日本語を使って書類を作成したり、上司や同僚、顧客と会話をする。これまた当たり前なことを改めて書くと、日本語がなければ仕事ができない。これはたとえ一人で仕事していても同じである。さらには、農業、工業であれ、商業であれ何を行うにしても日本語は必ず用いる。日本語は日々仕事を行う上で必須なのである。
必要不可欠な日本語であることは認識しつつも、自分の日本語の能力を疑ってみた経験、「自分は正しい日本語を使えているのだろうか」と考える機会があるだろうか。正直自分にはそんな機会ほとんどなかった。今まで仕事をしていて、文章であれ会話であれ案外てきとうな日本語を話しても伝わるからである。
しかし、適当に話しても伝わるという安直な発想は、相手にとって相当な負担をかけているのではないかと思う。相手が自分の日本語から不快感を感じて「ちょっと何言っているかわかんないよ」と面と向かって言ってくれるならまだマシだが、不正確な日本語を自分が発信してしまった場合99%の確率で、自分の拙い日本語を相手が咀嚼してちゃんとした回答を返してくれるか、面倒になって無視されるかのどちらかである。
このように相手に発信する場合はもちろん、発信しない場合でも日本語を正しく利用するのは重要だ。一人で仕事をしていても日本語で思考するわけなので、正しく日本語を使えなければ、情報の誤解や不足したままで不正確な、頓珍漢な、無駄な行動をしてしまうリスクはある。仕事でなく、日常生活でも悲惨な結果をもたらすこともないとは言えない。
上記を踏まえて改めて考えたい。自分は本当に正しい日本語を使えているだろうか。その答えは、「かなり怪しい」。いや、結論、怪しいのではなく、確実というレベルで正しい日本語を使えていない。断言できてしまう。
自分はコンサルタントである。時にプロフェッショナルとしての成果が求められるこの職業の人間は、意味不明な日本語を使えば上司からの厳しいレビューがある。「言っている・書いている意味がわからない」、「クライアントにそんな説明をするのか。あなたをクライアントの前に出せるわけがないだろう」などの辛辣なレビューが待っている。レビューを終えると、最悪本人はメンタルに来て、業界から退場することとなる。
できれば、それは避けたい。せめて正しい日本語を使ってそれでもダメなら退場したい。自分は少なくともそうである。
今回は、正しい日本語を使うにはどうすれば良いのかを書いていく。

自分が日本人であるにも関わらず、なぜふと日本語が正しく使えないと気づいたのか。これはコンサルだから、というのが要因の一つである。意外に思われるかもしれないが、コンサルタントは日本語にこだわっている職業の一つである。確かに、コンサルという職業を語る際、「ロジックを大事にする」というのは頻繁に用いられる。しかし、ロジック、論理的な思考は日本語が正しく使えなければできないものであると感じる。これは、実際に自分自身がコンサルワークをして経験していることだ。
そして、コンサルタントとしての業務以外にも、自分が最も日本語の重要性を感じたのは、自分が初めて経験するような場面に遭遇した際に出会った状況だ。初めて遭遇した場合こそ、正しい日本語の利用は重要である。それは、今まで知らないことを経験する上で、何を経験して、何が成果で何が反省点であるかといった様々な観点を記憶する上で日本語を駆使するからであり、正しい日本語を駆使できなければ記憶から失われやすくなってしまうからだ。
自分の場合、基本情報技術者の試験勉強中に上記の状況に遭遇した。基本情報技術者試験には「擬似言語」といって、「受験者がプログラミング的思考ができるかどうか」を計る試験がある。この試験は「科目B」という試験である。
その「科目B」という試験。例えば、以下のような記載を読み解く必要がある。
a ← 3
if(aが3と等しい)
a ← a + 1
end if
aを出力する
日本語とやや特殊な記載の文字の羅列。とても簡単な、初歩的なプログラミングであるが、これを日本語で置き換えると、
「a に 3 を代入する。
もし a が 3 と等しければ、a に a + 1 の結果を代入する。
最後に a を出力する。」
となる。
当然、プログラミングの流れを知らなければ読めない。日本語を正しく使えるだけでは読めない、というのも事実である。
しかし、「プログラミングとして書いている内容を日本語に解釈し直した場合、どうなるか」という観点でプログラミングの解釈が始まるとなると、当然日本語を正しく使える能力がなければ、これまた当然ながら正しく理解するのは難しい。
これは上記のプログラミングの例に限った話ではなく、コンサルタントであればクライアントが使う専門用語を交えた説明、そもそもクライアントとディスカッションに臨む前にインプットする業界動向に関する書物など、どの状況においても日本語の正しい理解、日本語力を高めることは業務を行う上で不可欠である。
さて、上記例を元に日本語力を高める必要性を認識したとして、日本語力はどのように高めるべきだろうか。
やり方の一つ目は、「正しい日本語に触れる機会を増やす」である。そもそも何が正しい日本語であるかを理解しなくては、言い換えるとインプットとして正しい日本語を頭の中に入れなくては、自分自身が正しい日本語力を用いた読解、記載ができないと考えている。
それを踏まえると、X(旧:Twitter)をはじめとするネットで書かれている日本語ではよろしくない(ということは自分のこのサイトも正しい日本語力を高めるためにという観点では利用できないということだ。少々悲しい)。
高めるためには、やっぱり本でなくてはいけない。本は、文章を書くことを専門とするプロフェッショナルな人材達で生まれた作品であるという観点でいうと、これほど日本語が正しく活用されているプロダクトは他にない。文章を書いた著者だけではなく、編集者も介在して何度も推敲を重ねて、本が書店で並ぶ時には正しい日本語で記載されている。
本には「あまりにおかしすぎて草w」といったフランクな言葉は、図書館や書店でよほどのことがない限り見つけることはできないだろう。正しい日本語で記載されている書物であれば、「あまりにおかしすぎて草w」は「いかにも不自然さが甚だしく、思わず失笑を禁じ得ない」という堅苦しくも美しい日本語で記載されている。
このように正しい日本語、正しく表現された言葉の羅列を頭の中に積み重ねることが重要なのである。
まずは、書店やAmazonで関心のあるジャンルや知識が既に前提として存在する本を手に取り、読み進めれば理解は捗るであろう。自分なら中小企業新や地方創生に関する本を数冊取る。
日本語力を上げるためにはインプットだけではなくてアウトプットも重要である。つまり、インプットした内容を練習として正しく運用できる機会を増やすことで経験値を高めるのである。
自分のように、wordpressでせっせと(いや、「ごくたまに」の頻度で)、日々の出来事を書き表すのは良い方法の一つであると思われる。それによって、自分の書いた文章がどれだけ理解されたか、共感を得たかを外部の反応の大きさによって知ることができる。
しかし、外部に自分の意見を発信することが苦手な人間もいる。そんな時は、スマホで簡単にできるジャーナル(日記)にて、日々の出来事を記録しておくのが良いのではないだろうか。誰にも見られないので外部から客観的に判断されることはなく、自分で書いた文章を自身で添削せざるを得ないが、自分の率直な思いを書き表せるのが魅力である。
文章は一言でも良い。文章の数が多いに越したことはないが、気負うことはない。むしろ日記は書くだけが重要なのではなく、添削、さらにその後の修正も大切な作業であるので、文章の数は短い方がそれらを丁寧に行うことができる。
修正は何度も何度も行うことが重要である。その何度も行う過程で、副詞の配置、状況に応じた動詞の方言、てにをはの利用方法などを習得して美しい日本語が身についていくはずだ。
ちなみに自分の場合はいつジャーナリングを行なっているかというと、朝オフィスの最寄駅までに向かう数駅間の時間である。電車の中で、SNSや読者、睡眠など様々できることはある中で、日本語を磨くという作業を毎日行うことで着実に日本語力を高めることができる。

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